b-61 (妻は死んだ日の夜から現われて対話が続いた)

  (ミネソタ州でソーシャルワーカーをしているダニエルは、二十八歳の妻キャシーをガンで失い、その夜から四日連続で、つぎのような啓示的な幻想的コミュニケーションを体験した。)

 妻が先立った日、身も心もぼろぼろに疲れて床に入った。気分をほぐそうとして目を閉じると、いろんな思いが頭を駆けめぐった。そこへだしぬけに、キャシーの輝くばかりの姿が割り込んできたんだ。目をあけてみたが、やっぱり見える。彼女がそばにいる気配がはっきり感じられて、心が静かになっていくのがわかった。
 キャシーはきれいだった。ゆったりとした輝くばかりに白いドレスを着て、このうえなく美しい顔をしていたよ。あれほど晴れやかな妻を見たのは、はじめてだった。豊かな茶色の長い髪も、もとどおり。化学療法や放射線治療を受ける前のまんまだった。ともかく、見とれるほど美しかった。
 キャシーは、テレパシーで話しかけてきた。「いまはとでも幸せで、祖父母やほかの親戚にも会ったのよ」と言った。「きみを愛しているよ。それに元気そうだし、もう苦しんでいないのが何よりうれしいよ」と、ぼくも話しかけた。
 しばらくのあいだ、二人で一緒にいる幸せに浸っていた。「ぼくのために来てくれて本当にありがとう」と礼を言ったよ。姿が消えていくとき、「必要なときには必ずそばにいるわ」と言ってくれた。
 つぎの晩、お通夜が終わったときは、体の感覚がなくなったかと思った。ベッドに倒れ込むと、またもやいろんな思いが頭を駆けめぐった。キャシーがぼくらのしたことを気に入ってくれたかどうか考えていたら、またしても彼女の気配がして、美しい幻が見えた。前の晩よりもっと明るい、もっと軽やかなドレスを着ている。彼女の周囲も背後も光り輝いているし、彼女自身も光を放っているんだよ。
 そして彼女は、「今日はほかの友人や親戚にも会って、とっても忙しかったのよ」と言うんだ。
 子どもたちのことを相談すると、「あたしがついてるから、心配ないわよ」って言う。「長いあいだ看病してくれてありがとう」と言うから、ぼくも「信頼して看病を任せてくれて、ありがたかったよ」と礼を言った。その晩は、どうやらそこで眠ってしまったらしかった。
 つぎの日、キャシーを埋葬した。まだいままでのことが、よく飲み込めていないような気がしたよ。その晩眠りにつくと、またキャシーのすばらしい幻が戻ってきた。また一段と明るさと輝きを増しているように見えて、まるで彼女の体が純粋な光に乗っ取られてしまったかのようだった。
 「そちらの世界ってどんなところだい」と聞くと、こう答えた。「ここではとっても幸せよ。お互いのあいだに境界がないもの。自分のもってる良さがすべてわかるし、ほかの人の良さもみんなわかる。ここでは、一人ひとりの良さがすっかりわかるようになるっていうことが、成長なのよ。良さがわかる能力が、だんだん向上していくの。だから相手の良さがもっと深く、もっと自在にわかるようになるわ。私はそんな愛と自由を知ることができるのよ、あなたより一足お先にね」 思いを分かち合っていると、やがて幻は消えていった。
 四日目の夜も、床に入ると幻が戻ってきた。目をあけていても閉じていでも、幻はいつもどおりに浮かんでいた。ただしキャシーは、見えにくくなっていた。ますます明るく光り輝いていたからだ。
 「一緒に行きましょう。見せたいものがあるの」と言われて、どういうわけか、ぼくも幻の中へ踏み込んでいった。深い谷底へ向かって、二人で細い道を下って行った。谷の両側には高くて険しい山がつらなっていて、項ははるか上空にそびえている。
 「これが人生よ」と彼女が言った。
 「谷を通る道はたくさんあるし、大勢の人にも会うわ。それぞれ何が正しい、何がまちがっているという自分なりの考えをもつようになるでしょう。だから、その人のありのままを受け入れることね。列の先頭に立って行く人もいるし、頭上への道を、一生涯を骨を折って登って行かなければならない人もいるわ」
 谷の入口についたとき、キャシーの姿がゆっくりと明るい白い光の中へ消えていって、やがてその光にすっぽり飲み込まれてしまった。そしてその光もまた、山の頂上の同じような光の中へと消えていった。
 キャシーに置き去りにされたような感じは、不思議としなかった。あたかも彼女が光の中にいて、あるいは彼女が光そのもので、その光には境界がない、そんな感じがした。彼女から放射された光がぼくに溶けこんでいて、二度と去らないような気がした。
 幻があらわれなくなっても、喪失感はなかった。その体験が、あまりに生きいきとして真に迫っていて、頼もしかったから、何の疑いも疑問も起きなかった。体験それ自体が、一つの完全な、完結したものに思えたんだ。

   ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
    片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.335-338





 b-62 (二人の子供たちの霊界からのメッセージ)

 この五年間に私たち夫婦は二人の子供をなくすという体験をした。一人は三女の玲で、彼女は致死性小人症という、骨が成長しない病気をもって生まれてきた。いつ死ぬかわからない状態で二七二日という世界記録を作って彼女は死んだ。その後、間もなく養子にした星はわずか生後三カ月で幼児突然死症候群でこの世を去った。私たち夫婦には元気な子供が三人いるが、この二人の子どもの死のショックは大きく、生きることの意味がもうないとすら感じた。
 そんな時、カリフォルニア在住の霊能者であるジョアンヌ・スティールワゴン女史を、友人から紹介された。彼女は心理学者であるが、異次元の存在との交流ができる人だという。彼女の一つの特徴は霊視ができることである。つまり、ヴィジョンが見える。
 妻のジャネットは、悲しみに打ちひしがれた状態で、こう言った。「なぜこのような体験を私たちがしなければならなかったのか、なぜ玲はああいう状態で生まれ、死んでいかなければならなかったのか」、ただそれだけを知りたかったのである。ジョアンヌは、霊視して、こう語った。「私にはなんのことかわかりませんが、一人の女の子がにこにこして、『お母さん、私の手を見て』と言って、両手を振っています」
 ジャネットにはすぐにわかった。玲は致死性小人症であったため、手足が全然成長しなかったのである。それが、今は、あの世に行って手も普通になっているよ、と見せてくれたのである。それから玲は私たち夫婦に「ありがとう」と言っていると、ジョアンヌは語った。彼女は「無条件の愛」を体験するために、あのような身体をもってこの世に生まれてくることに決め、私たち夫婦はその親になる約束をしたというのである。これは一つの約束であるが、かならず守らなければならないというものではない。しかし、私たちはこの約束を守り、彼女をありのままに愛してくれたことに玲は感謝している、というのだった。
 玲は生まれる以前に異常があることはわかっていて、生まないという選択もあると医師に暗示されたこともあった。
 星からのメッセージは、彼は「悲しみ」という感情を自ら体験するために、私たちの家族のところにやってきて、死ぬことを選択した、というものだった。星を養子にしたときは生後一カ月で、健康そのものの子だった。私たちの家族一人一人はほんとうに星を可愛がり、楽しい時を過ごしていた。ジョアンヌを通して星が語るには、彼自身そのように愛情に囲まれた生活の中で、本来の自分の目的を見失いそうになるところだった。そういう状態で突然死んで、別れなければならない悲しみ、そして家族である私たちの悲嘆を体験することが、彼の使命だったと語った。
 私たちのことを何も知らなかったジョアンヌを通して語られたこれらのメッセージは、語っている存在が玲であり星であることを示す証拠を伴っていた。

  アイヴァン・クック『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』(大内博訳)
    講談社、1994、pp.320-321 (「訳者のことば」より)





 b-63 (死の床にある人を近親者の霊が迎えに来る現象)

 超心理学者のカーリス・オシス博士とエルレンドゥール・ハラルドソン教授は、この領域の五年におよぶ研究成果を『人は死ぬ時何を見るのか』(原題At the Hour of Death 笠原敏雄訳、日本教文社1991年)にまとめ、1979年に出版した。二人はインドとアメリカの病院で同じ調査を行い、両方の国で同じ現象が起きていることを発見した。インドでもアメリカでも、死の床にある人を霊が迎えに来ており、霊の多くは死んだ近親者の姿をしていた。調査した877人の患者のうち、両国でほぼ半数ずつ、合計591人にこの体験が起きていた。薬物による幻覚の可能性はまったくなかった。ちなみにイギリスの統計によると、死の床にある人が霊姿を見ることは、病気でないふつうの人の場合の三倍も多いのだ。
 病院の調査では、インドとアメリカで体験にいくらかの違いがあることがわかった。アメリカでは死んでいく患者を迎えに来た霊姿の大半が女性で、亡くなった母親のことが多かったが、男性優位社会のインドでは、たいてい男性だった。また特殊な宗教的人物の霊姿もたまに見られたが、本人の信仰と霊体験にはつながりがないように見えた。実際、死後の世界があるとは考えていない患者が、何十人も、あの世からの迎えに出会っているのである。
 霊姿を見た人には明らかな変化が観察された。死は暗く、ときには苦痛の大きい体験であるが、霊姿の訪問を受けた人の72パーセントという圧倒的多数が、心が晴れ晴れとして、よろこんで向こうに行くという気持ちになっていた。当然ながら誰もが旅立ちたいわけではなく、少数ながら助けを求めて声を上げる人もいた。迎えについて行くことに抵抗を示す人は、アメリカ人よりインド人患者のほうに多かった。アメリカ人で、まだあの世へ行く覚悟ができていないと言った人は、たった一人だった。

   ジェフリー・アイバーソン『死後の生』片山陽子訳、
     日本放送出版協会、1993、pp.138-139





 b-64 (インドの病院で入院中の女医が死者の幻を見る)  

 入院していたときのことです。とても容態が悪く、うつらうつらしていて、まわりのようすもあまりはっきりとはわからなかったんです。四一度の高熱でした。私の母とキルティという名の女生徒が見舞いに来ていました。
 そのときベッドに寝ていると、突然キルティのおじいさんが病室に入って来ました。どちらかというと小柄な人で、すごく厚いメガネをかけて、いつものドーティ(男子の腰布)を着けていました。キルティのおじいさんだとわかったのは、いつもキルティを迎えに来るときと服装が同じだったからです。おじいさんは私の足もとのところに立ちました。そして何度もこう言うんです、すみませんが孫を帰してやってください、あの子を家へ帰らせてくださいって。
 何度もそう言うので、私はうるさく感じて寝返りをうって向こうを向いてしまいました。それでも彼はまだそこに立って、どうか孫を帰してくださいとしつこく言いつづけるんです。うるさくてしかたがないので、キルティに帰りなさいと言うことにしたんです。でもおじいさんが待っているからとは言いませんでした。彼女はもう当然おじいさんの姿を見たものと思いこんでいたからです。キルティは帰りたくないと言いました。私の具合があんまり悪そうなので、つきそっていたいって。彼女がいうことをきかないので、私はそれなら少なくとも家に電話しなさいと言ったんです。彼女は電話をかけに行き、そして大あわてで病室にもどって来ました。とても動転していて……。なんと彼女が電話をする五分前に、おじいさんが亡くなっていたというんです。あわてて家へ帰って行きました。
 私はひどく具合が悪かったものですから、彼女におじいさんのことは何も言いませんでした。でもあとで、おじいさんはほんとうに彼女を呼びに来ていたにちがいないと思いました。おそらく死にかかっていたちょうどそのときだったんだろうと。おじいさんは実際にそこに来て立っていたんだと、あの当時は本気で考えました。
 いろいろ考えてみて、二つ三つ可能性が浮かびました。医者だったら、誰もほんとうに幽霊が来たとは考えないでしょう。たぶん熟のせいだった、熟で意識が混濁して幻覚を見たんだと考えるのがふつうだと思います。
 それでも、彼が亡くなるちょうどそのときに、彼が私のベッドのそばに立っている幻を見るなんて、なんて不思議なめぐり合わせだろうと思うんです。説明するのはとても難しいでしょう。科学的に説明をつけることは無理だと思います。

   ジェフリー・アイバーソン『死後の生』片山陽子訳、
      日本放送出版協会、1993、pp.140-141





 b-65 (娘の霊が自分が殺されたことを母親に訴える)

 ASPR(アメリカ心霊研究協会)のリチャード・ホジソン博士は、1897年7月3日付の『シカゴ・イブニング・ジャーナル』紙で、はじめてその事件を知った。「奇怪な証拠で有罪判決」と見出しをつけた記事にはこうあった。はじめ検視陪審員は、自宅で死んで見つかったある女性の死を心臓病によるものとしていた。しかし葬式がすんでから、死んだ女性、シュー夫人の母親のところに夫人の幻があらわれるようになり、自分は夫に絞め殺されたのだと訴えた。母親は娘の霊が口にするこまごまとした事柄から、娘が殺されていたことを確信し、当局を説得して遺体を掘り起こさせた。その結果、夫は第一級謀殺の容疑で審理され、終身刑を宣告された。
 ホジソンはこのケースを検討したいと考え、母親のヒースター夫人と七人の証人の供述書を入手した。証人は、犯罪が立証される前に母親から娘の幻についていろいろと聞かされていた人たちである。ホジソンは地区検事補とも連絡をとり、公判の記録の写しを手に入れた。
 ヒースター夫人は法廷でこう語っていた。「すべては娘の葬式がすんだあと、『なぜ死んだのか、もう一度もどってきて教えてちょうだい』と祈ったときからはじまったんです。そのときから死んだ娘は都合四回私のところへあらわれて、どうやって殺されたかを話していきました。殺された当日、あの子の夫が帰宅して夕食のテーブルにつこうとしました。『彼は怒ったの。肉料理が何もなかったからよ。でもバターもりんごもチェリーもあったし、ゼリーも三種類あったわ。テーブルにはいろいろ出ていたのよ……』と娘は言いました。口論になって、彼は壁から娘の写真をはずして山積みにし、アクセサリーや衣類を毛糸の入っていたバスケットに投げこんだんです」。陪審員の一人はホジソン博士に、バスケットの中にそのとおりの品物が発見されたことを伝えている。
 「ああ、お母さん、彼がおどりかかって私の首を絞めたの……」と高齢のヒースター夫人は法廷で娘の言葉を伝えた。老婦人は、もしや夢を見ていたのではないかとたずねられた。「はじめてあの子が来たときは、もう寝ようとしていたときでした。暖炉のそばにあの子がいたんです。ほんとにいるのかしらと思って腕にさわってみたんです。ちゃんと血肉のついた腕でした」
 さらに詰問された夫人は、こうつけ加えた。「あの子が見えたので、私は肘をついて体を起こして、手をのばしてみたんです、こんなときはお棺に入ったまま来るのかどうか調べてみたくて。お棺があるかどうか確かめたかったんですよ。そんなものはありませんでした。あの子はこの世を去ったときとどこも変わっていませんでした。私はあの子に話をしに来てちょうだいと言いました。そしたら来てくれたんです」
 ヒースター夫人は何週間もかけて当局を説得し、娘の墓をあばく許可をとりつけた。夫人の言葉がまじめに受け取ってもらえたのは、二つの事実のためだった。一つは、娘の霊姿が着ていたと夫人が主張する服が、殺された当日実際に彼女が着ていたものだったこと。もう一つは、ヒースター夫人は娘の家を訪問したことがなかったにもかかわらず、犯行のもようの説明が実際の家のつくりと一致していたことである。老夫人はついに保安官をつれて娘の家へ行くことになった。
 陪審員の一人が書いている。「ヒースター夫人は彼らとともに家に行き、それまで一度もその家を見たことがなかったにもかかわらず、どのドアを通ってどう行くかを、娘の霊に教えられたとおりに説明しました。そしてあるドアの前で立ちどまると、やはり霊に教えられたという、ある一か所を指さしました。そこの床には血痕と争ったあとがありました」
 ヒースター夫人は法廷で言った。「あの子が言ったとおりの場所がありました。そこにほんとうに血のあとがあったんです。あの子の言ったとおりでした。私はあの子が死ぬまで、その家を見たことがありませんでした。私が何も知らないうちに、あの子がそういうことを全部教えてくれたんです」
 証人は、遺体が掘り起こされる前にヒースター夫人が死因について詳しく述べていたことを証言した。娘は母親に「首の最初の関節のところを、血まみれになるまで絞めつけられた」と訴えていた。
 シュー夫人の遺体を調べると、首の関節が第一頸椎と第二頸椎のあいだでこわれていることがわかった。発掘と死体解剖に立ち会った陪審員は、「検死の結果、ヒースター夫人が私やほかの数名の前で、前もって述べていたことが、あらゆる点で正しかったことがわかりました」とホジソン博士に書いた。

   ジェフリー・アイバーソン『死後の生』片山陽子訳、
     日本放送出版協会、1993、pp.147-149





 b-66 (教会で銃で撃たれて死んだ司祭が交霊会で語った) 

 一九四八年、トスカナ地方のある小さな村で交霊会がもよおされた。会場はイタリアの超心理学者シルビオ・ラバルディニの自宅。一〇人の家族と友人が見守る中、地元の霊媒が深いトランスに入っていった。やがて部屋のいろいろな方向から声が聞こえてきて、直接談話(霊が霊媒の発声器官を借りずに直接話しかけてくる)がはじまった。そのときふいに聞きなれない声が割りこんできた。その部屋の中の誰一人聞いたことのない声だった。

 私はあなたがたを見ることはできませんが、存在を感じることはできるんです。私もかつてはあなたがたのように、そんなふうに存在したんです。私は司祭でした。幸福な人間でした。ああ、こうやってようやく真実をお話しできてとてもうれしい。私は拳銃で殺されたんです。だが恨んでいるわけではありません。私はオハイオ州のカントンで司祭をしていたジュゼッぺ・リカルディです。私はあなたがたのことは存じません。兄弟だということがわかるだけです。敵どうしではありません。兄弟ですから。
 私はある女の人に撃たれました。ミサが終わったときでした。司祭としてではなく、ジュゼッぺ・リカルディ兄弟として撃たれたんです。撃たれたとき、とてもあたたかく感じました。私は起きあがって、その人になぜ撃ったのか、たずねたいと思いました。でも彼女はヒステリーのような状態で、私のことなど目に入らないようでした。私が起こしてくれと頼んでいることにも気づいていないようでした。でもそんなことはもうどうだっていいんです。
 私たちはみんな兄弟です。オハイオの光と美しい花々があなたがたにもたらされますように。

 リカルディの声は、ほかに二つの短いメッセージを残して消えた。殺された日時が不明だったので調査は困難と考えられたが、ラバルディニはアメリカへ手紙を書いた。しかし本格的な調査がはじまったのは、一九八六年、彼がバージニア大学のイアン・スティーブンソン博士にイタリアで出会ったときだった。
 スティーブンソン教授はリカルディの死の事実をすぐにつきとめた。一九二九年三日二〇日、カントンの聖アントニウス教会でのこと、ミサをあげ終えた司祭にマミー・ゲリエリ夫人が近づいた。五歳になる娘をつれていた。夫人は司祭に二言三言告げると彼に発砲。五発のうち二発が命中し、司祭は運ばれた病院でその日のうちに死亡した。ゲリエリ夫人はリカルディが娘に性的いたずらをしたと非難したが、彼は断固否定した。夫人は精神異常だともいわれていた。司祭を撃ったあと、夫人は教会の階段の上で静かに警察の到着を待った。司祭殺害の罪で裁判にかけられたが無罪となった。

   ジェフリー・アイバーソン『死後の生』片山陽子訳、
     日本放送出版協会、1993、pp.186-187





 b-67 (スピリチュアリズム運動の始まりになった交霊)

 スピリチュアリズム運動と呼ばれる近代のミディアムシップ(交霊)の復興は、一八四八年ニューヨーク州ハイズヴィルにあるジョン・フォックスの質素な農場ではじまった。三月に、彼の妻と二人の若い娘たちが、家のなかで不思議な音がするのに気づいた。やがて家中の者が、ラップ音やノック音がしたり、家具が動いたりするのを見聞きするようになった。ある晩、一家が床についた後、風が強くなって家中にいろいろな説明のつかない音が響きわたる。ジョン・フォックスがバタバタとはためいている窓を閉めに階下へおりると、騒ぎがあまりにもひどいので、家族のほかの人たちも彼に続いた。下の娘が、父親が窓枠を動かすたびに壁のなかでそれと連動したような音のすることに気づいた。フォックス夫人は次のようにしるしている。
 妹のキャシー[ケイト]が「オバケさん、わたしのするとおりやってみて」といって手をたたくと、即座にそれと同じ数だけラップ音がした。彼女が手をたたくのをやめると、音のほうもしばらくやんだ。するとこんどはマーガレットが「だめよ、わたしのするとおりにして」といって手をたたきながら一、二、三、四と数えると、またしてもラップ音がそれに答えた。……そこでわたしは、その場のだれにも答えられないような質問をしてみようと思い立ち、(前夫との子どもも含めて)わたしの子どもたちの年齢を上から順番にラップ音で答えてごらんといった。すると、即座にすべての子どもたちの歳が正確に返ってきた。そこでわたしは「質問に正しい答えをしているのは人間ですか?」とたずねてみた。ラップ音はない。「これは霊ですか? もしそうならラップ音を二回鳴らしてください」ラップ音が二回。・・・・・・さらに「もし傷ついた霊ならラップ音を二回鳴らしてください」と開くと、即座にラップ音が二回鳴って家全体が振動した。・・・・・・この同じ簡単なやり方によって、それが三十一歳の男性で、この家で殺され、遺体は地下室に埋められているということがわかったのだ。
 夜がふけるにつれ、フォックス家の人びとは、その現象の立会人になってもらおうと隣人たちを呼び集めた。その後もラップ音やノック音はつづき、口伝えでその地方一帯に噂がひろがるにつれ、遠方からも見物人がやってくるようになる。質問に音で答えるというやり方を見ていた近所のある人が、アルファベットを早口でいって霊に望みの字のところで音を鳴らしてもらい、またアルファベットをくり返して次の字を探すというやり方でことばや文章をつづっていけば、もっと正確な情報が聞き出せるのではないかという提案をした。
 こうしてその実在は、自分の身の上話をもっとくわしく語れるようになった。霊によると、彼はチャールズ・B・ロズマという行商人で、その屋敷で殺され地下に埋められたという。地下室を掘ってみると、人間の骨が見つかった。それから五十六年後の二度目の発掘では、行商人のブリキ箱と残りの骨、所持品などが掘り出された。今日フォックス屋敷とロズマの遺骨は、そこからほど近いニューヨーク州リリーデールにあるスピリチュアリズム運動本部に展示されている。

    ジョン・クリモ『チャネリング(T)』プラブッダ訳、
       ヴォイス社、1992、pp.182-184





 b-68 (急逝してその前日葬儀が終わったばかりの友人が顕れる)

 (カール・ユングは次のような自然発生的透視チャネリング体験を取り上げて、ごく一般的なブックテストの一例を紹介している。)

 ある晩、わたしは目をさましたまま横になり、急逝してその前日葬儀に付されたばかりの友人のことを考えていた。……と突然、彼が部屋にいるのが感じられた。わたしのベッドの足元に立って、いっしょにきてくれといっているような気がしたのだ。・・・・・・わたしは想像のなかで彼について行った。彼はわたしを家から連れ出すと、庭を出て道路を通り、最後に彼の家へはいって行った。・・・・・・・そして脚立に上ると、本棚の上から二段目に並んでいる赤い表紙の五冊の本の二冊日を見せてくれた。この体験があまりにも不思議だったので、わたしは翌朝彼の未亡人を訪れて、図書室をのぞいてもいいかとたずねた。すると案の定、昨夜ヴィジョンで見たとおり本棚の下に脚立が置いてあり、しかも遠くからでも赤表紙の五冊の本が見えたのだ。・・・・・・その二巻目のタイトルは『死者の遺産』であった。

    ジョン・クリモ『チャネリング(T)』プラブッダ訳、
      ヴォイス社、1992、p.283





 b-69 (夢の中で見た社員からの濡れ衣の訴え)

 その夢のなかで……わたしは机にすわってひとりの見知らぬ紳士と仕事の話をしていた。・・・・・・すると、真正面からロバート・マッケンジーが近づいてきた。・・・・・・わたしは少し厳しい口調で、仕事中なのがわからないのかとたしなめた。彼はしぶしぶうしろへ下がりかかったが、すぐに振りむいてまたこちらへ近づいてきた。・・・・・・「どうしたというんだ、ロバート?」わたしは腹立ち気味にこういった。「いまふさがっているのがわからんのか?」「はい」彼はこう答えた。「でも、いますぐお話ししなければならないことがあるんです。・・・・・・社長には知っておいていただきたいんで・・・・・・わたしは自分ではしていないことをしたという濡れ衣を着せられています。そのことを知ってほしいんです。わたしは無実ですから、どうか許してください」最後のひとことは、「みんながいっているよう  なことをわたしはしていません」というものだった。
 そこで目がさめると・・・・・・家内がひどく興奮して、寝室に飛び込んできた。・・・・・・「あなた、たいへんよ。職人の宴会でひどいことがあったの。ロバート・マッケンジーが自殺したのよ!」
 夢で見たヴィジョンの意味を確信していたわたしは、静かにこう答えた。「いいや、彼は自殺したんじゃないよ」「そんなことどうしてわかるの?」「たったいまここへきてそう教えてくれたのさ」
 のちに、マッケンジーはウィスキーとまちがえて有毒な木材着色料を飲んだことが判明した。

    ジョン・クリモ『チャネリング(T)』プラブッダ訳、
       ヴォイス社、1992、pp.355-356





 b-70 (殺された息子が霊界で母親と一緒にいることを伝える)

 (南西部で郵便集配人をしているグレンは、殺された二十一歳の息子ロンと、ロンの母親で、がんで他界して十六年になるヘレンの二人と再会し、その体験で精神的に変身した。)

 ロンが殺されたのは、月曜日の夜だった。だが私は、火曜日の朝になるまで、あいつが死んだことを知らなかった。殺されて死んだということと、私がいちばんの近親者だということで、翌日、遺体の確認に行かなければならなかった。
 あれほどつらい仕事は、一生のうちでもそうざらにあるもんじゃない。あいつのことを思うたびに、死体保管所の台の上に横たわっていた姿がよみがえった。あのとき見たもののすべてが、意識の先頭を切って駆け込んできた。無残に汚されたあいつの姿が。
 木曜日だった。明け方の四時ごろ目が覚めて、起き上がって目覚し時計を見た。するとすぐ目の前に、ロンが立っているじゃないか。背後から投光器で照らされてるみたいな具合なのに、何もかもはっきり見えるんだ。Tシャツにブルージーンという格好だった。
 しっかりした、まるで生きている人間のような体だった。私に笑いかけたのを見たとき、息子がまったく健康そのものだってことがわかった。歯並びがきれいで真っ白なんだ。死ぬ前は欠けて汚かったのに。
 息子は、それからなんと母親のヘレンを連れてきたんだよ。十六年前、彼女を埋葬したとき、私は彼女を心の奥底に埋め込んでしまった。神なんかいると思わなかったし、死後の生命や天国なんてものも一切信じなかったから。この現実世界以外のものは、何一つ信じていなかったから。
 ロンとヘレンは、手をつないでいた。ヘレンもこのうえなく元気そうで、化学療法と放射線治療で全部抜けてしまった髪だって、もとどおりになっていた。まるで、結婚したころの彼女のようだった。ゆったりしたドレスを着て、そりゃあきれいだったよ。
 「ヘレン、忘れていてすまなかった」と言ったら、「わかっているわよ、グレン」と。私が妻を忘れてしまったことを、理解してくれたんだね。彼女はすぐに消えてしまって、自分がすすり泣いているのが聞こえた。
 ロンを見ると、また笑ってる。そうか、彼はいま天国にいるか、これから天国へ行こうとしているんだ、と気がついた。胸の底から熱いものがこみ上げてきた。そんな気持ちは、生まれてはじめてだった。体が吹っ飛んでしまいそうだった。それくらいうれしかった。
 その瞬間、何もかも信じていたよ。教えられてきたあらゆるものが真実だってことが、その瞬間にわかった。ただ、わかったんだ。
 「憎しみもない、怒りもないよ、父さん」と、そのときロンが言った。そしてまた、「憎しみもない、怒りもない」とくり返した。「自分は誰のことも憎んだり恨んだりしていない」と、私に伝えようとしていたんだと思う。それは私にも、「人を憎んだり恨んだりしないでほしい」って意味なんだ。
 「ぼくのことなら心配しなくていいよ。すごく幸せなんだから」とも言った。それを聞いたときに、とても気持ちが楽になった。「私が死んだら、そっちで迎えてくれるかい」とたずねたら、「そうだね、ぼくはまだ新入りだからね、よくわからないよ」だってさ。
 そのとき、となりで寝ていた、いまの家内のリンダが目を覚まして、私の腕にさわった。そのとたん、ロンとの体験は終わってしまった。もう息子の姿も見えなかったし、話もできなかったけど、私はいいしれないうれしさを感じていたし、心はやすらいでいた。
 息子が殺されたあと、犯人を殺してやるつもりだった。何がなんでも、その男の息の根を止めてやるつもりだった。いまはもう、そんな気持ちはないよ。その男は、私の息子を殺したという事実から片時も逃れられないんだ。そんなふうにして生きていなければならないのを、かわいそうに思っているよ。
 息子が天国で母親と一緒にいるっていうことが、どんなにうれしいかわかるかい? あの出来事で、私の人生はすっかり変わったよ。あの体験が私の目をひらいてくれたんだ。

   ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
     片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.338-340





 b-71 (誰でも死んだら自分の葬式を見に帰って来ることができる)

 (かつて保健指導員をつとめ、退職してメリーランド州に住んでいるルーサンは、叔父とこんな体験をしたことがあるという。)

 叔父のプレデリックは、肺気腫で寝たきりになって亡くなりました。私にとっては最後に残った年上の親類だったこともあって、とても親しくしていたんです。
 ある日、死のときが近づいていることを二人で話し合っていたとき、私は、こう言いました。
 「行けばいいのよ、何も悩むことはないわ。奥さんのアデレードだって向こうで待っているんだし」って。叔父は「ほんとかい? 本気でそう思ってるのかい?」と。「そうよ。死ぬって、人生という学校から卒業するみたいなもんなのよ」
 とうとう亡くなって、お弔いのミサに出席したときでした。いとこたちと一緒に三列目の腰かけに座っていました。式のあいだに、枢が台車にのって教会の奥からごろごろと運び込まれて来たんです。
 見ると、枢の三メートルほど上に、なんと叔父が浮かんでるじゃありませんか。おまけに、卒業式の黒いガウンに角帽といういでたちで。楽しくてうれしくて、もうじっとしてられないってようすなんです。全身まるごとの、ちゃんとした固そうな体でしたよ。内側から光っていたようでした。
 角帽を手にもって私に振ってみせながら、「ルーサン、ほんとにきみの言うとおりだったよ。いやあ、まいった、まいった」って。ほんとに、いつもの性絡まる出しなんですから。飛んだり跳ねたりして、若いころからちっとも変わってない。で、私にこう言うんです。「ねえ、ねえ、知ってたかい? 誰でも自分の葬式を見に帰って来られるんだぜ。そいつが言いたくてさ、こうして戻って来たってわけ!」
 叔父のとなりにはアデレード叔母さんがいて、後ろには亡くなった親族が全員集合しているのも見えるんです。誰がいるかはすぐわかりました。私の両親に祖父母、それに叔父と叔母のほかのきょうだいや親戚の人たち。みんなちゃんとした手ごたえのありそうな体でしたけど、だいたいは顔しか見えませんでした。そう、ちょうど集合写真みたいな具合。
 私、あわてて手で顔を隠しましたよ。だってうれし泣きと一緒に、笑いもこみ上げてきてしまって。でもみんなは、私が悲しみの涙にむせんでると思ったでしょうよ。いとこがやさしく「まあルーサン、大丈夫なのよ、心配ないのよ」と言ってくれました。私は「そりゃあ大丈夫よ、心配なんてするもんですか」って言いたかったけど、そんなこと言っても、ほかの人はわけがわからなかったでしょうね。

    ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
       片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.349-350





 b‐72.(なぜ長生きする人もいれば短命な人もいるのか)

  (守護霊からのメッセージ)

 早く亡くなる者、長生きする者。
 ぬしらは単純に、長生きする者をうらやましいと思うようじゃな。
 しかし、それも物質界の話じゃ。わしらの言葉を聞けばおよそ理解できるであろうが、幽世(かくりよ)においての幸せと、現世(うつしよ)の価値観は違う。
 いわば、この現世において早死には不幸。しかし、たましいの世では幸いなのじゃ。
 なぜならば、この現世は仮の世、学びの世、苦しみの世であるからじゃ。
 早く亡くなった者は、それを切り上げたということじゃ。学びの達成が早い。そして、早くに帰る。ぬしらの言葉でいうならば、「卒業」なのじゃ。現世で、「良き人ほど早く死ぬ」というであろう。
 そしてまた、経験としてそうなる者もいる。いわば、若死に、早死にを経験したくて現世に来ている者じゃ。
 逆に、どんなに死にたい者でも、迎えがなければ死ねぬ。いわばそこに学びがあるわけじゃ。
 長生きして、老いていく憂いをもつ経験をしたくて、来ている者もおる。
 すべて、一つの道ではないのじゃ。どの者もさまざまな理由をもって生きておるのじゃ。すべてが神秘なのじゃ。
 長生きすることも、短命であることも、すべてに意味があるのじゃ。意味なく早死にすることもないのじゃ。
 そしてもう一つ、幽世と現世ではまるで価値観が逆である、ということを知ることじゃ。
 逆にわしら幽世の者も、幽世での早死には悲しいのじゃ。幽世における死、とはどういうことか。この現世に生まれるということじゃ。
 しかし現世では、その子どもを待ち望んでいる者がたくさんいる。赤子を授かれば喜びである。歓迎もされる。しかし、その子どもも、幽世では哀れなたましいじゃ。
 現世にとって短命、早死には悲しきこと。
 しかし、幽世にとってみれば、現世での短命は喜ばしき出迎えじゃ。試練の場より、修行を終えて帰ってまいるわけであるから。

   江原啓之『スピリチュアル メッセージ』飛鳥新社、2002、pp.119-121





 b-73 (美男・美女としてこの世に生まれてくる意味は何か)

  (守護霊からのメッセージ)

 きれいに生まれる者と、そうでない者。それも意味があるのじゃ。
 なぜきれいに生まれるか。
 かつてのたましいの思いに恨みがあるからじゃ。いわば、そうでなかった経験があるからじゃ。
 きれいでないことによる屈辱などを受けた思い。それがために、美人として生まれて来るのじゃ。美人にたましいの良い者が少ないのは、そのためじゃ。美人で性格も良いという者がなかなか見受けられないのは、そのためじゃ。
 それは、なぜか。
 美人であることに意識ばかり向けるからじゃ。
 そこになぜ意識を向けねばならぬのか。
 こだわりがあるからじゃ。美人として生まれ、ちやほやされて、それがまことの幸せにつながったか否かを、その者のたましいは見ておるわけじゃ。
 そうでない者は、人の純粋なる心を見るために来ておるわけじゃ。
 となれば、美人に生まれぬことのほうが幸せということぞ。まことの心と接して生きられるということであるから。
 今の話は女だけではない。男とて同じ。
 美女、美男子に幸せになる者が少ないのは、そのためではなかろうか。人の心を信じられなくなってしまうからじゃ。

   江原啓之『スピリチュアル メッセージ』飛鳥新社、2002、pp.122-123





 b-74. (豊さに慣れた私たちはこの文明社会をどう生きていくか)

  (守護霊からのメッセージ)

 わしはこの物質界を否定はしない。便利と呼べる物質界――わしは便利とは思ってはおらぬが、ぬしらが便利と思う物質界――を否定することもないのじゃ。
 なぜならば、ぬしらがつくり上げたものにより、ぬしらが苦しむのであるから。それは、ぬしらがつくり上げる因果律であるのじゃ。ゆえ、なぜそこまでつくったと責めることもないのじゃ。
 たとえば、交通事故。これも現世の者たちみずからがつくり上げたことじゃ。
 現世の者たちが道をつくる。車をつくる。その便利さがために現世の者たち自身が犠牲になるわけじゃ。
 しかし、その犠牲になった者は、みずからがつくった車によって犠牲になったのではないやもしれぬ。それを人は理不尽と思うであろう。
 しかし広義で見れば、すべては類魂じゃ。類魂がつくったこと、したことなのじゃ。
 そしてまたもう一つ、実に冷たく思うやもしれぬが、犠牲となる者も、幽世における類魂のなかで、寿命を定めてきているのじゃ。寿命は現世の者たちが定められぬもの。
 ゆえ、「このときこうすれば死なぬでよかった」ということはないのじゃ。
 そして、死に差別はないのじゃ。
 こけて死のうとも、病で死のうとも、一見むごたらしい死に方であっても、死に違いはない。みずからがつくり上げた因果により、死ぬべきときを迎えた者が、交通事故なりを利用するだけなのじゃ。
 そして、人を殺す車を運転していた者は、その者としての学びがあるのじゃ。その者がこれまでにつくり上げてきた因果を、交通事故犯罪者として解消しようとしているわけじゃ。一つの事象を、さまざまなたましいが、幾重の理由により利用しているということがおわかりか。
 それを冷ややかに、良きことというわけではないぞ。それらの事象をつくり上げているみずからのたましい、人類すべてひとくくりの「みずから」として、それを悔やまねばならぬのじゃ。
 目に映る事象のすべては、みずからの部分じゃ。となれば、そのようないわば交通事故を目にしたり、耳にしたりした場合には、みずからの部分として、感じ、戒めねばならぬのじゃ。
 何気なく目にしたテレビのニュースとて、みずからと無関係ではない。それを目にした者はみな、人類を総括した広義の「みずから」に対し、謝らねばならぬのじゃ。

   江原啓之『スピリチュアル メッセージ』飛鳥新社、2002、pp.159-161





 b-75 (なぜ私たちはこの世に生まれ、生きていくのか) 

  (守護霊からのメッセージ)

 この現世に生れる意味は二通りあるのじゃ。本(もと)つたましい、そこから二通りの目的をもってまいる。
 その一つは、過去世における悔やみや無念さなど、ぬしらの呼ぶ「カルマ」を解消するためじゃ。正と負、光と影、これらを解消するためにある。いわば、ぬしらの本つたましいの経験のなかで、影があれば、それを光に変えるため。
 ひらたくいえば、だました者はだまされるため。みずからのたましい、心をあざむいた者は、そのあざむいた苦しみを解消するために、この現世(うつしよ)に生れるのじゃ。いわば、貸し借り、この解消のために生れるたましいがある。
 または正しき言い方をすれば、みずからの負い持てる経験をふくらますわけじゃ。
 もう一つは、みずからの訓練のために生れるたましいがある。みずからのたましいに負荷をかけ、そこよりさらに目映く輝くというたましいじゃ。今以上により輝きをもちたい。そのためには前者と違い、後者のほうが、極端な人生となることが多い。
 いわば、おおむねこの現世のなかでの目立つ苦悩を、みずからに課すわけじゃ。
 たとえれば、生まれもっての宿命などによる病。もちろん後天的に病や故障を得るということもあろう。それも含めてじゃ。
 わしが今いうたのは、あくまでもこの現世における苦悩じゃぞ。ぬしらの思う常識は、幽世には通用せぬ。ぬしらが苦と思うことは、幽世において楽ということが往々にしてあるのじゃ。
 みずからのたましいにより大きな負荷をかけ、生れて、そしてその経験により、みずからのたましいをより輝かすという道。その者は、たましいにおいては幸せじゃ。
 生まれてくることの意味は、この二つといってよいのじゃ。前者のためのほうが、この現世は多かろう。
 目的なく生まれてくる者は誰一人としておらぬということじゃ。

   江原啓之『スピリチュアル メッセージ』飛鳥新社、2002、pp.38-40





 b-76 (なぜこの世では幸せな人と不幸な人に分かれるのか)

  (守護霊からのメッセージ)

 幸せな人、不幸な人。
 これは、現世のなかで物質的に見ての判断にすぎぬ。
 何がために幸せに見えるのか、または不幸に見えるのか。
 おそらく金であったり、地位であったり、美貌であったり。いずれも物質的なことでしかない。物質の視点でもって判断し、ぬしらは幸せか、不幸かという。
 しかし、たましいのうえでは、それは通じぬ。この現世において不幸なる者が幸せであったり、幸せな者が不幸であったりもする。なぜならば、この現世に生れるということは、限られた時間なのじゃ。幽世におけるあり方こそ、まことのたましいのあり方である。
 いわばこの現世は、仮の世なのじゃ。
 学ぶがために、浄化向上のために、この現世はある。となれば、この現世のなかに幸いを求めたところで何の意味があるか、ということじゃ。
 極端なことを申せば、現世にはさまざまな試練があって当然。なぜならば、それを求めて生まれて来ておるからじゃ。

  江原啓之『スピリチュアル メッセージ』飛鳥新社、2002、pp.103-104





 b-77 (36歳の若さで亡くなった伯爵夫人からのことば)

 ポーラは、名家に生まれ、若さと美貌、そして富を兼ね備えていた。さらに、うまれつき高い霊性を備えていた。一八五一年に、三十六歳の若さで亡くなったが、そのときは、誰もが次のように思った。「いったい、神様は、どうして、こんなに素晴らしい人を、こんなに早く召されるのだろう?」
 彼女は、すべての人に対して、善良で、優しく、寛大であった。常に悪を許し、和らげ、悪を助長することが決してなかった。悪しき言葉が、彼女の美しい、透き通った唇を汚したことは、ただの一度もなかった。
 彼女自身の身分と夫の高い地位にふさわしいかたちで、家を維持する必要があった。そのために、しかるべき出費を惜しむことはなかったが、あくまでも、浪費を避け、虚飾を退けたので、通常の半分の経費を支出するにとどまった。そうして節約した財産は、恵まれない人々のために使った。彼女は、そのようにして、みずからの、社会に対する義務、貧しい人々に対する責務を果たしたのである。
 死後十二年がたち、霊実在論に開眼した親族の一人によって招霊された彼女は、さまざまな質問に対して、次のように答えてくれた(もとの対話はドイツ語でなされた。家族にかかわる、ごく私的な部分は削除し、全体を整理した上で、フランス語に訳してある)。

     *****

 「そうです。確かに、わたくしは、こちらで幸せに暮らしております。そして、その幸福感を地上の方々に言葉で説明することは、とうてい不可能です。とはいえ、わたくしは、まだ最高の悟りを得ているわけではありません。
 地上にあっても、わたくしは幸せな生活を送りました。というのも、つらい思いをした記憶がないからです。若さ、健康、財産、称賛など、地上において幸福の要素とされているものを、わたくしはすべて備えておりました。
 しかし、こちらでの幸福を知ってみれば、地上でのそうした幸福などは、まったく何ほどのこともありません。
 華々しく着飾った人々が参列する、最も壮麗な地上のお祭りでも、こちらでの集会に比べれば、何ということもありません。何しろ、こちらでは、悟りの高さに応じた、目もくらむばかりの光を燦然と放つ方々が、綺羅星のごとく数多く集われるのですから。
 地上にある、どんなに素晴らしい金色の王宮にしても、霊界の、空気のように軽やかな建物、広々とした空間、虹でさえも顔色を失うような澄み切った色彩に比べたら、本当につまらないものに思われます。
 地上での、遅々とした、そぞろ歩きに比べて、こちらでは、散歩といえば、稲妻よりもすばやく、無限の空間を駆けめぐるのです。
 地上の水平線は、雲がかかり、限られていますが、こちらでは、数多くの天体が、神の手のもと、果てしない宇宙空間を運動しているのです。
 霊体を震わせ、魂の襞のひとつに染み入る、天上のハーモニーに比べたら、地上の最も美しい音楽であっても、悲しい金切り声にしか聞こえません。
 滔々と流れる慈しみの大河のように、魂全体に絶えず浸透する、筆舌に尽くしがたい幸福感に比べたら、地上での喜びなど、まったく取るに足りません。
 霊界の幸福には、心配、恐れ、苦しみなどが、みじんも含まれていないのです。こちらでは、すべてが愛であり、信頼であり、誠実であるのです。どこを見渡しても、愛に満ちた人々ばかりであり、友人たちばかりであり、ねたみ、そねみを持った人など、ただの一人もおりません。
 こうした世界が、わたくしのいる世界であり、あなたがたも、正しい生き方をしたら、必ず来られる世界なのです。
 とはいっても、もし幸福が単調なものであれば、やがては飽きが来るでしよう。『霊界での幸福には何の苦労も伴わない』などとは考えないでください。わたくしたちは、永遠にコンサートを聞いているのでもなければ、終わりのない宴会に参加しているわけでもなく、永劫にわたってのんびりと観想しているのでもありません。
 いいえ、霊界にも、動き、生活、活動はあるのです。疲れることはないとはいえ、さまざまな用事をこなす必要があります。無数の出来事が起こり、いろいろな局面、いろいろな感情を経験することになります。それぞれが、果たすべき使命を持ち、守るべき人々を持ち、訪問すべき地上の友人たちを持っています。さらに、自然の仕組みをうまく動かし、苦しんでいる魂たちを慰める必要もあります。
 道から道へではなく、世界から世界へ、行ったり来たりします。集いを開き、散っていき、そしてまた集まります。あるテーマのもとに集会を開いて、経験したことを共有し、お互いの成功を祝福し合います。打ち合わせを行い、難しい問題に関しては互いに助け合います。
 要するに、『霊界では一秒たりとも退屈している暇はない』ということなのです。
 現在、地上のことは、わたくしたちの主要な関心事となっております。霊たちのあいだには、大きな動きがあるのです。膨大な数のチームが地上に赴き、その変容に協力しています。
 それは、まるで、無数の労働者が、経験を積んだ指揮者のもとに森を開墾しているようなものです。ある者たちは地ならしをし、ある者たちは種をまき、ある者たちは、古い世界の跡地に新たなる都市を建設しています。その間も、指揮官たちは会議を開いて協議を重ね、あらゆる方向に使者を送って命令を伝えます。
 地球は再生する必要があるからです。神の計画が実現しなければならないのです。だからこそ、それぞれが懸命に仕事に取り組んでいるのです。
 わたくしが、この大事業を単に眺めているだけだなどとは思わないでください。みんなが働いているときに、わたくしだけが、ぶらぶらしているわけにはまいりません。重大な使命が、わたくしにも与えられていますので、最善を尽くして、それを遂行するつもりでいるのです。
 霊界で、わたくしが、いまいる境涯に達するためには、それなりの苦労もあったのです。今回の地上での人生も、あなたがたの目には充分だと思われたかもしれませんが、霊的に見たら、決して合格点を与えられるものではありません。
 過去、何度かの転生を通じて、わたくしは、試練と悲惨に満ちた人生を送りましたが、それは、自分の魂を強化し、浄化するために、わたくしが、あえて選んだものです。わたくしは、幸いにも、そうした人生において勝利を収めましたが、そうした人生よりも、もっともっと危険に満ちた人生が残っていたのです。それが、財産に恵まれ、物質的な面で何の苦労もない生活、すなわち、物質的な困難のいっさいない生活だったのです。
 これは、たいへん危険の多い人生です。そうした人生を試みるためには、堕落しないだけの強さを獲得しておく必要がありました。神様は、わたくしのそうした意図をお認めくださり、今回、わたくしに、そうした人生を試させてくださったのです。
 他の多くの霊たちも、見せかけのきらびやかさに惑わされて、そうした生活を選び取るのですが、残念なことに、ほとんどの霊が、まだ充分に鍛えられていなかったために、経験不足から、物質の誘惑に、見事に負けてしまいました。
 わたくしも、かつては地上にて労働者だったことが数多くあるのです。本質としては高貴な女性なのですが、わたくしもまた、額に汗してパン代を稼ぎ、欠乏に耐え、過酷な生存条件を忍んだことがあります。そうすることによって、わたくしの魂は、雄々しく力強いものとなったのです。そうしたことがなければ、たぶん、今回の転生では失敗し、大きく退歩したかもしれません。
 わたくしと同じように、あなたもまた、財産という試練に直面することになるでしょう。でも、あまり早く財産を持とうとしないでくださいね。
 ここで、お金持ちの人々に申し上げておきたいのですが、真の財産、滅びることのない財産は地上にはありません。どうか、神様がくださった恵みに対して、地上で充分にお返しをなさってください」

    アラン・カルデック『天国と地獄』(浅岡夢二訳)
      幸福の科学出版、2006、pp.74-79





 b-78  (火事に遭って亡くなった若い女性からの通信) 

 (エマ嬢は、火事に遭遇し、ひどく苦しんだあとに亡くなった若い女性である。その死から、ほんの少しあと、一八六三年七月三十一日に、パリ霊実在主義協会において、ある人が招霊を提案したところ、自発的にそれに応じて降りてきてくれた。)

 「いったんは、無垢と若さのヴェールの彼方に永遠に身を隠すつもりでいましたが、いまこうして再び地上という劇場に登場いたしました。
 『地上の火事が、わたしを地獄の火から救ってくれた』、そんなふうに、カトリックの信仰に基づいて考えておりました。ところが、実際には、すぐ死ぬこともできず、わたしの魂は、打ち震えつつ、苦しみの中で償いを果たしたのです。わたしは、うめき、祈り、そして泣きました。
 しかし、苦痛に耐える弱いわたしに力を与えてくれる存在がありました。苦しみの床に横たわり、熱に浮かされて、うつらうつらと長い夜を過ごすわたしを、優しく見守ってくれる存在があったのです。わたしの乾燥しきった唇を潤してくれる存在がありました。それが、わたしの守護天使だったのです。また、わが親しき霊人たちであったのです。彼らが、わたしのもとに来て、希望と愛の言葉をささやいてくれたのです。
 炎がわたしの弱い体を焼き尽くし、執着から解放してくれていました。ですから、わたしは、死んだときには、すでに真実の生き方をしていたと言ってもいいでしょう。混乱はありませんでした。晴れ晴れとして霊界に入り、輝かしい光に迎えられました。この光は、たくさん苦しんだ末に、ごくわずかばかりの希望を捨てずにいる者たちを、優しく包んでくれるのです。
 お母様、わたしの懐かしいお母様の思いが、わたしが地上で最後に感じた波動でした。ああ、お母様も早く霊実在論に出会えるとよいのに!
 熟れた果物が枝から落ちるように、わたしは地上の木から解き放たれました。若さに酔い、輝かしい成功に酔った魂が必ず陥る傲慢から、わたしは、かろうじて免れておりました。
 わたしを焼き尽くした炎に祝福あれ! 苦しみに祝福あれ! 試練― 実は償いであったのですが― に祝福あれ!
 わたしは光の奔流に浮かんで漂っています。わたしの額を飾るのは、もうダイヤモンドではなく、神様からいただいた、燦然たる金色の星なのです」


 (ル・アーヴルのセンターに、同じく自発的に降りてきたエマの霊から、次のような通信を受け取った。一八六三年八月三日のことである。)

 「地上で苦しんでいる人々は、あの世において報われます。地上で苦しんだ人々に対し、神は正義と慈悲に満ちて接してくださいます。神は、死後に、かくも純粋な幸福と、かくも完全な歓喜を用意してくだきっていますので、死とその苦しみを恐れる必要はまったくありません。神のご計画は本当に神秘的なものなのです。
 地上とは、しばしば、とても大きな試練に満ちた場所であり、しばしば、とても深い苦悩に満ちた場所であります。試練や苦悩に出会っている人々は、それらを甘受すべきでしょう。重い荷物を神から与えられている人々は、全能なる神の至高の善意の前に頭を垂れるべきです。
 大いなる苦しみのあとに、あの世において神のそばに呼び寄せられる人々は、『幸福なあの世の生活に比べれば、地上での苦しみ、苦労など、何ほどのこともなかった』ということを知るはずです。
 わたしは、若くして地上を去りましたが、神様は、わたしを許してくださり、神様の意志を尊重した者たちに与えられる人生を与えてくださいました。
 みなさま、常に神様を讃えてください。心を尽くして神様を愛してください。よく神様に祈ってください。強く神様に祈ってください。地上では、それが支えとなり、希望となり、救いとなるでしょう」

   アラン・カルデック『天国と地獄』(浅岡夢二訳)
     幸福の科学出版、2006、pp.86-89 






 b-79 (ある野心的な医者の転生として生まれたB夫人の生涯)

 (ボルドーのB夫人は、経済的苦境には陥らなかったものの、生涯を通じて、無数の病気にかかり、大変な肉体的苦痛をこうむった。
 生後五カ月のときに始まり、その後の六十年間というもの、ほとんど毎年、重病にかかっては、死の一歩手前まで行った。いかがわしい医者から、三度、あやしい薬を飲まされたこともあり、病気によってだけではなく薬によっても彼女の健康は害され、生涯を終えるまで、耐えがたい苦しみに悩まされて、それを和らげるすべはなかった。
 キリスト教徒であり、霊実在主義者でもあり、また霊媒でもあった彼女の娘が、祈りの中で、神に、「母親のひどい苦痛を和らげてください」とお願いしたことがある。
 すると、指導霊が出てきて、「むしろ、母親が、諦念と忍耐心をもって苦しみに耐える力を得ることができるよう、神様にお願いしなさい」と言い、さらに、次のようなメッセージを伝えてきた。)


 「地上においては、すべてに意味があります。あなたが原因となって他者に味わわせた苦しみは、必ず、ブーメランのように、あなたのところへ戻ってくるようになっているのです。何かを浪費すれば、必ず不足に悩まされます。あなたが流す涙は、どの涙も、ある過ちを、あるいは、ある罪を洗い流すものであるのです。
 したがって、どのような、肉体的、精神的苦痛であろうと、諦念をもって耐え忍びなさい。
 身を粉にして、休むことなく働きつづける農夫には、その根気に対するほうびとして、黄金色に輝く、山のような麦の穂が与えられるのです。これが、地上において悩み苦しむ人間の運命なのです。忍耐の結果、得られる、素晴らしい収穫を心に描けば、人間生活に付きものの、たまゆらの労苦など、簡単に乗り越えることができるのです。
 あなたのお母さんに起こっていることも同じです。苦しみの一つひとつが、彼女が過去に犯した罪に対する購いとなっているのです。そうした罪を早く消し去れば消し去るほど、幸福が早く訪れます。諦念とともに耐え忍ばない場合、苦痛は不毛なものとなるでしょう。つまり、もう一度経験しなければならなくなるのです。
 したがって、彼女にとって、いまいちばん必要なのは、勇気と素直さなのです。それをこそ、神、そして高級諸神霊に対し、与えてくださいとお願いすべきでしょう。
 あなたのお母さんは、ある過去世で男性として生まれ、たいへん裕福な人々を相手に医者をしていました。彼らは、『健康のためならお金に糸目は付けない』という人々であったので、この医者は、経済的に非常に恵まれ、また、素晴らしい名声も得ました。
 栄光と富に対して野心を抱いていたので、彼は、医学界の頂点を極めようとしました。ただし、『同胞たちを救いたい』という思いからそうしたのではなくて、ただ単に、さらなる名声を得たいがためにそうしたにすぎませんでした。しかし、金持ちの患者に恵まれていたので、そうした目的を達成することには何の困難もありませんでした。
 そして、そのために、とうてい考えられないような、ひどい実験を繰り返したのです。
 痙攣を研究するために、ある母親に、わざと、ある薬を飲ませて痙攣を起こさせ、この母親を、苦しみのうちに死に至らしめました。ある病気の治療薬を見つけるために、子供を使って残酷な実験を行いました。また、ある年寄りが、実験によって命を縮めました。屈強な男が、ある飲み薬の効果を確かめる実験によって、見るも哀れな病人になりました。
 そして、こうした実験は、すべて、何の疑いも持っていない患者たちに対して行われたのです。
 貪欲と倣慢、名声への渇望が、その動機のすべてでした。
 この霊が、ようやく悔悟の心を持てるようになるまでには、死後、何世紀にもわたって、恐るべき試練にさらされる必要がありました。そして、それから、ようやく再生のための購いが開始されました。今回の人生の試練は、それまでに体験したことに比べれば、まだまだ楽であると言えるのです。
 したがって、今世は、勇気をもって、そうした試練に耐えなければなりません。苦しみはひどく、また長いかもしれませんが、忍耐強く、諦念をもって、謙虚に耐え忍んでください。そうすれば、それに対する報いは大きなものとなるのです。
 苦しんでいる人々よ、どうか勇気を持ってください。物質世界での生活など、ほんの一瞬なのです。その後に待っている永遠の喜びを、どうか思い描いていただきたいのです。
 希望という友に呼びかけなさい。そうすれば、希望は、必ず、苦しみを和らげに、あなたのそばに来てくれます。希望の姉である信仰にも呼びかけなさい。信仰は、天国をかいま見せてくれるでしょう。そして、希望があれば、より容易に天国に入れるのです。
 さらに、天使たちを送ってくださるように、神様にお願いしなさい。天使たちは、あなたを囲み、あなたを支え、あなたを愛してくれるでしょう。天使たちの、変わることのない思いやりに励まされて、あなたが、その法を犯し、冒漬した神様のところへと、再び戻ることが可能となるのです」

 (B夫人は、死後、娘、そしてパリ霊実在主義協会に霊示を送ってきた。それは、たいへん卓越した内容のものであったが、そこで、彼女は、指導霊によって明かされた自分の前歴をすべて認めた。)

    アラン・カルデック『天国と地獄』(浅岡夢二訳)
      幸福の科学出版、2006、pp.279-283 






 b-80 (申し分のない生き方をした男性を襲った二つの苦難)

 ジョゼフ・メートルは、中産階級の家庭に生まれた。まずまず快適な生活に恵まれ、物質的には満足すべき環境であった。両親は、彼に、よい教育を受けさせ、やがて、彼が企業で働くものと考えていた。ところが、二十歳のときに、彼は、突然、盲目となった。そして、一八四五年、五十歳のときに亡くなった。
 死の十年ほど前、彼は二つ目の苦難に襲われた。耳がまったく聞こえなくなったのである。まわりの人々とのかかわりは、触覚を通じてのみ成立した。目が見えないというだけでも、すでに相当な苦しみであるのに、さらに耳が聞こえなくなったのであるから、まさに、残酷な拷問を受けているようなものであった。
 いったい、なぜ、このようなことになったのだろうか? 今回の人生での振る舞いが原因でないことは明らかである。というのも、彼の生き方は申し分のないものであったからだ。
 よき息子であり、柔和な性格で、思いやりに満ちていた。目が見えなくなり、さらに耳が聞こえなくなったときも、彼は、潔く、その事態を引き受けて、ひとことも不満をもらさなかった。話し振りを見れば、精神にまったく曇りがないことが分かったし、その知性は卓越したものだった。
 ある人が、「彼の霊と話をすれば、きっと有益な教訓を得ることができるに違いない」と考えて、彼の霊を招霊し、質問に対する次のような返答を得た。

     *  * * * *

 「友人諸君、私のことを思い出してくださって、どうもありがとう。もっとも、私との対話から教訓が引き出せると思わなければ、私のことなど思い出してはくだきらなかったのでしょうが。
 いずれにしても、私は喜んで諸君の招霊に応じました。『あなたがたのために役立つことで私が幸福になれる』ということで、許可されたからです。神の正義に基づいて、あなたがたに与えられた、数多くの試練の見本に、どうか私の例も加えてください。
 ご存じのとおり、私は、目が見えず、また、耳も聞こえませんでした。そして、あなたがたは、私が、いったい何をしたために、そのようなことになったのかを知りたいと思っておられる。それを、これから明かしましょう。
 まず、『私の目が見えなくなったのは、今回が初めてではない』ということを知っておいてください。前回の転生は、今世紀の始めごろだったのですが、そのときにも、私は三十のときに盲目となっております。
 このときには、あらゆる面で不摂生をしたために、体が衰弱し、健康を損ない、その結果として目が見えなくなったのです。それは、神からいただいた贈り物を濫用したことに対する罰でした。私は多くの才能に恵まれすぎていたのです。
 しかし、原因が自分自身にあるということが分からずに、私は、あまり信じてもいなかった神を責めたのです。神を冒漬し、否定し、非難しました。『もし神が存在するとしたら、それは、不正で、意地の悪い神でしかない』と叫んだのです。なぜなら、こんなふうにして、自分の創造物を苦しめるからです。
 しかし、目の見えない他の人々と違って、物乞いをして生活の資を得なくて済むことに、むしろ感謝すべきだったのです。だが、そうはいきませんでした。自分中心の発想しかできず、数多くの楽しみを奪われたことに我慢がなりませんでした。
 そんな考えに支配され、また、信仰がなかったので、私はすっかり気難しい人間になってしまいました。すぐに苛立つ人間、ひとことで言えば、まわりの人々にとって耐えがたい人間となったわけです。
 それ以来、人生の目標を失ってしまいました。将来は、もう悪夢でしかなく、考える気もなくなりました。最新のあらゆる治療を受けた果てに、治療不可能と知るや、私は絶望して、人生に終止符を打ちました。つまり自殺したのです。
 だが、目覚めてみると、それまでと同じように、闇の中に置かれていたのです。しかし、徐々に、もう物質界にはいないことが分かってきました。私は盲目の霊になっていたのです。こうして、墓の彼方にも生命があるということを知ったわけです。
 その生命を消して、虚無に逃げ込もうとしたのですが、どうしても、うまくいきません。空虚の中で、行き詰まってしまったのです。
 『かつて人々が言っていたように、もし死後の生命が永遠だとしたら、おれは永遠にこのままなのか』と思いました。この考えは本当に恐ろしい考えでした。
 痛みがあったわけではありません。しかし、私の苦しみや苦悩は耐えがたいものだったのです。いったい、どれくらい、これが続くのだろう? それが分からない。いつ終わるか分からない時間がどれほど長く感じられるか、あなたがたには分かりますか?
 疲れ果て、精も根も尽き果てて、私はついに自分自身に戻ってきました。
 そうすると、私を超える力が、私を支配し、重くのしかかっていることが分かってきたのです。そして、『もし、この力が私をつぶそうとしているなら、同様に、私を解放することもできるはずだ』と考えたのです。
 そこで、その力に哀れみを乞いました。
 心を込めて祈るうち、何となく、『このつらい状況には終わりがある』ということが分かってきました。ようやく光を得ることができたのです。清らかな神の光をかいま見、まわりに、優しくほほえんでいる、明るく輝く霊人たちの姿を見たときの私の喜びを、どうか想像してみてください。
 彼らについていこうとしたのですが、何か見えない力によって、そこにとどめられました。
 そのとき、霊人たちの一人がこう言うのが聞こえました。
 『あなたが無視していた神が、あなたが神のほうに向かれたことをよしとされて、あなたに光を与えることを、われわれに許可されました。
 しかし、あなたは拘束と倦怠に嫌気がさしたにすぎません。もし、あなたが、ここで、みなが享受している幸福を享受したいのであれば、その悔い改めと、よき思いが本物であることを、地上の試練を克服することによって証明しなければなりません。しかも、再び同じような過ちに陥る可能性のある条件のもとで―いや、今度は、その条件がさらに厳しくなるわけですが―、そうしなければならないのです』
 私は、もちろん喜んで受け入れました。そして、『今度こそ、やり遂げます』と誓ったのです。
 そういうわけで、再び地上に戻り、あなたがたもご存じのとおりの生活をしました。
 善良に生きることは、それほど難しくありませんでした。というのも、私はもともと意地悪な人間ではなかったからです。
 今回は、生まれつき信仰をもって人生を開始しました。したがって、神に不満をぶつけるということはせずに、二重の不自由を甘受したのです。至高の正義に命じられた償いだったからです。
 最後の十年ほどは、目も見えず、耳も聞こえなかったために、まったくの孤立の中で過ごしましたが、それでも絶望はしませんでした。死後の世界を信じていましたし、神の慈悲を信じていたからです。
 その孤立状態は、むしろ好ましくさえあったのです。というのも、完全な沈黙に満たされた長い夜のあいだ、私の魂は自由になり、永遠のほうへとあまがけてゆき、無限をかいま見ることができたからです。
 そして、ようやく解放が許された日、私が霊界に還ると、そこは、壮麗さと素晴らしい喜びに満たされていました。
 前回の転生と、今回の転生を比べてみて、いろいろなことが分かるにつれ、私は神に感謝せざるを得なくなりました。
 しかし、前方を見ると、完璧な幸福に至るまでに、まだまだ、どれほど進まなくてはならないかが分かります。
 私は償いを果たしました。今後は功徳を積まなければなりません。今回の人生は、自分のために役立っただけだからです。
 もうすぐ、また地上へ転生して、今度は他者のために役立つ生き方をしたいと思っています。そうすることで、役に立たなかった人生を補えるでしょう。そうすることで、初めて、よき念いを持ったあらゆる霊に対して開かれた、祝福された道を歩みはじめることができるのです。
 以上が私のお話です。もし、このお話を聞いて、地上にいる私の同胞たちの何人かでも、啓発され、そのために、彼らが、私の落ちたぬかるみに落ちないで済んだとしたら、私は、そのとき、ようやく借金≠返しはじめたことになるのです」

    アラン・カルデック『天国と地獄』(浅岡夢二訳)
      幸福の科学出版、2006、pp.283-289